へばの連続上映Vol.3

『へばの』連続上映 Space & Cafe ポレポレ坐
Vol.3 いま、辺境(マージナル)にある映画
『へばの』×NDU『倭奴へ-在韓被爆者無告の二十六年』×『月夜釜合戦』の現在


  青森県六ヶ所村。日本全国の原発の使用済み燃料を再処理し、新たな燃料を抽出する―核燃料再処理工場。「原子力の新しい次の時代」へ向け、本格稼動しよう としていた2006年。映画『へばの』(2008年)は、この再処理工場の稼動を控えた、六ヶ所村全体の光景を観たスタッフたちの思いをできるだけそのま まに、そこから生まれ育つ次の家族の物語を紡ごうとした映画である。

 1960年代。激動の時代のなか―さまざまな裂け目に立ち会った映画制作集団がいた。
NDU(日 本ドキュメンタリストユニオン)。69年の青年労働者闘争の場、返還前の沖縄、台湾、パレスチナ、アメリカ…国内外に留まらず前線の人々の瞬間を記録し、 それらを特定の主張に収束することを徹底拒否し、まず、邂逅をのみ、祝福たろうとし、あるいは強烈な失語と共にあるNDUの諸作品。今回併映する『倭奴へ ―』は、原爆投下時に日本で強制労働渦中であったがゆえに被爆した数名の在韓被爆者を、復興さなかの大韓民国に追い続ける。「日本は、“唯一の被爆国”で はない」―NDUが発露した事実の明示と共に―映画が目指す先にあるのは、撮影時の71年にあっても2014年のいまに至っても、回収不能な瞬間の連続で ある。
 2014年のいま、多くの境界は、具現化することが求められているのではないか。
国の境、補償の境、敵味方の境、生きる/生きざるの境。その境界は―さも存在する、と強弁が続くが、そうなのだろうか。いずれの辺境(マージナル)にも実際に立ってみ、境界が融解する瞬間の光景こそが、私達に憎悪や絶望から次への視野を切り拓くかもしれないのに。
NDU の後期と、共闘の時間を共にした現在30代の映画制作者たちがいる。NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)として、布川らと2000年代後半から共作 を続け、大阪・長居公園テント村撤去、釜ヶ崎住民票・選挙権剥奪、千里団地再開発強制立ち退きなど、行政・大企業による権利剥奪の強行と、その前面とに立 つ住民との狭間に、つくり手自身も立ち続けた。
現在、大阪・西成地区で16mmフィルム撮影が続けられている『月夜釜合戦』は、その彼らの“辺境の視野”を開拓する―数年来に渡る挑戦が、いまも続いていることであると思う。
2012年2月9日に逝去した、真に“辺境の映画制作者”であった布川徹郎の、NDUの同志である井上修、そして『月夜釜合戦』から監督の佐藤零郎、両氏を11月15日にご登壇頂き、いま、映画が辺境にあることについて、映像と言葉とを交わせればと思う。
(木村文洋)


へばの

青森県六ヶ所村。そこに住む紀美は、再処理工場で働く治との結婚を間近に控えていた。創設から工場に携わっている父・大樹(だいき)と親子二人で暮らしてきた紀美は、治と新しい家庭を築いていくことにささやかな幸せを感じていたのだった。
あ る日、治は作業中にプルトニウムの内部被曝に襲われる。大樹は二人の間に生まれるであろう子供に、被曝による影響が出ることを案じて、二人が結婚すること を反対する。紀美はそれでも治と一緒にいることを願うが、紀美の想いを打ち砕くようにして、治は突然姿を消してしまう。
三年の月日が経ち、紀美は静かに生活していた。その周囲で、突然治が戻ってきたという噂が囁かれる。それを聞いた紀美は、あてもなく治のことを探しに出てしまうのだが……。

出演:西山真来/長谷川等/工藤佳子/吉岡睦雄
監督・脚本:木村文洋 プロデューサー:桑原広考 協力プロデューサー:木村岩夫
撮影:高橋和博 照明:吉川慎太郎 録音:近藤崇生 メイク:増田加奈
助監督:成冨佳代/梶原由貴子 音楽:北村早樹子 主題歌密のあはれ(「おもかげ」より) 
製作・配給:team judas 
2008年/DVCAM/4:3/81分


倭奴へ-在韓被爆者無告の二十六年

1971 年、佐藤栄作首相が朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の祝賀パーティ列席のために訪韓した時を得て、在韓被爆者8名は直訴状を持って日本大使館に向かった。 在韓被爆者は韓国官憲によって佐藤首相の韓国滞在中拘束される。カメラはその8人の生活を追う。この1971年は、被爆者・孫振斗(ソン・ジンドゥ)さん が、日本への密航により収監された大村収容所から、在留と医療を求める“原爆手帳裁判”を闘い始めた年である。

スタッフ:井出情児、井上修、斉藤憐、布川徹郎
宣伝スチール:井出情児
企画:竹中労 製作委員会:「倭奴へ」製作推進委員会
提供:NDU、プラネット映画資料図書館
1971年/16mm/52分※DVD上映になります。